セブ島に海外転職して5ヶ月なのに読書が好きすぎて、1週間で2冊くらいのペースで日本の本を読んでいるのアラサー女子がぶちゃんです。
先日今更読んだ、『汝、星のごとく』がめちゃくちゃアラサーに刺さりまくりだったので、もっとアラサー女子にこの本を読んでほしくてこの記事を書いています!
あらすじ
その愛は、あまりにも切ない。
正しさに縛られ、愛に呪われ、それでもわたしたちは生きていく。
本屋大賞受賞作『流浪の月』著者の、心の奥深くに響く最高傑作。ーーわたしは愛する男のために人生を誤りたい。
風光明媚な瀬戸内の島に育った高校生の暁海(あきみ)と、自由奔放な母の恋愛に振り回され島に転校してきた櫂(かい)。
ともに心に孤独と欠落を抱えた二人は、惹かれ合い、すれ違い、そして成長していく。
生きることの自由さと不自由さを描き続けてきた著者が紡ぐ、ひとつではない愛の物語。ーーまともな人間なんてものは幻想だ。俺たちは自らを生きるしかない。
この本の特徴
この物語で特徴的なのは、主人公の暁海と櫂の視点がそれぞれスイッチしながら進むところ。
高校生で出会った二人が親に振り回されながらも、それぞれの自分の人生の選択をしていくんだけど、それぞれの事情が男性目線・女性目線と、それぞれの家庭環境や置かれた状況で、いろんな視点から見られるのがすごく面白い。
また高校生から社会人になっていくまでの時系列でも追っていくことができるんだけど、最初は漫画家として早くに大成した櫂と、それに置いてかれまいと必死な暁海っていう対称で描かれているんだけど、時を追うごとにどんどんと立場が逆転していく感じも、人生生きてたらいい時も悪い時も色々あるよねって思わされるアラサーなら共感せずにはいられないポイント。
アラサーの私的に刺さったポイント
高校生時代の恋愛模様がエモい
正直私は恋愛ものの小説はそんなに好きではないので、どうかなと思っていたけど、凪良ゆうさんの描く情景や表現の一つ一つがあまりに美しくて、街の情景も含めて、なんか「こういう高校生の恋愛素敵だな」というなんとも言えない感情になりました。
高校時代に恋愛漫画とかのキュンキュンに憧れてたそんな感覚を思い出しました。(笑)
でもキュンキュンというよりはなんか美しいというか羨ましいというか、いわゆるエモいみたいな感じでしょうか。
高校時代は本当に目の前の恋愛に必死でお互いを好き、ただ一緒にいたいっていう純粋な気持ちだけで「自分たちが離れることはない」「この気持ちが変わることはない」っていう真っ直ぐな感じがすごく若くていいな〜って思うんです。
社会人の恋愛は共感
ただ社会人になると、学生の時と関わる人も変わってくるし、周りの人の過ごし方や金銭感覚に傾倒していくってのは結構あるあるなんじゃないかなって。
櫂は漫画家として若くして大金を稼いで、女遊びをして、お金に糸目をつけずに使うようになるんだけど、一方自分は地元で「母」という呪縛に囚われながらも地道に稼いでいる暁海の様子の対比とか、アラサーだったらなんか共感できるポイントすぎるなあと思っていました。
変わっていく相手と、変わらない自分を比較して、その相手に合わせようと思って必死に取り繕うんだけど、結局どちらのためにもならないというか、お互いが無理して付き合っていくことになるし、嘘も多くなるし、惰性や情だけで一緒にいるみたいな感覚。
このすれ違いをきっかけに二人は別れることになるんだけど、私が感じたのは「今自分の周りにいる人(付き合っている人)は自分に合う人でできている」っていうこと。
よく巷では自分の友達の平均が自分だみたいなことが言われてるけど、その通りだなと思って、この時の二人は明らかにお互いが合わない人になってしまっていたから、別れる運命だったんだろうなあって思う。
現実、人との出会いも、出会っては去りを繰り返していくけど、最終的には自分にとって必要な人が周りに残っていくはずだから、
その時は悲しい決断だったとしても、本当に自分にとって必要な人であればいずれまた一緒になる運命だろうし、そこで終わりであればそれまでの関係だったってことだよなって改めて感じたわけです。
アラサーになると恋愛に限らず、出会いも別れもたくさんしてきたじゃないですか?
無理して自分と明らかに合わない友人や恋人と付き合っていても、どこかに歪みは必ず来るものだし。
でも恋愛が難しいのは、好きだから一緒にいたいという気持ちが、その歪みを超えて無理してでも一緒にいようとしてしまうことなんだけどね、、、(頭では分かってても、理性的に動けないのが恋愛じゃないですか、、、)
周りの人はいつも勝手に判断する
自分が大切にすべき人
私がこの物語を読んでてもう一つ感じたのが、高校時代と、そして社会人になってから出会う周りの人たち。
自分がどんな状況になろうとも「自分」という存在に対して価値を見出してくれる編集の植木さんとは対象に、その時の「ステータス」や表面的なことだけで判断してくる地元の住人。
人生において植木さんのように、自分がどんなに落ちぶれても、どんな目にあっても「自分という存在」を受け入れてくれる人に出会えたら本当に幸せなことだと思う。
自分が成功している時は寄ってくるけど、いざ自分が落ちぶれたときにほとんどの人は離れていくじゃないですか。
そういう時にそばにいてくれた人は本当の絆で結ばれた人だと思うし、そういう人にはなんだってしてあげたいし、その関係性を崩したくないって感じるものだと思う。
植木さんと対比して書かれるのが島の住人。
最初は「あんなのと付き合って」みたいなことを散々言っていたくせに、いざ櫂が出世して漫画家として大成したら手のひら返して「いいね」「もう将来は安泰だね」みたなことを言ってくる来る感じ。(めちゃくちゃこういうこと経験あるから共感しまくりポイント)
往々にして周りにいるほとんどの人って、経歴とか見えている表面的なところでしか判断しないから、たとえばいいとこに就職したら「この人は成功している」と見られるし、またあるときは「この人は離婚したからなんか問題があるんだろう」とか言い出したりするじゃないですか。
こちらの事情も知らないで、何がわかるんだい?って思いますけど、側から見たらそれしか判断材料がないわけだから仕方ないことだし、事実私もよく知らない人に関しては聞いた情報だけで人のことを判断してしまいますし。
他人の目を気にする必要がないということ
だからこそ、周りの噂や自分に対する賞賛も批判も、関係ないんですよ。
何にも知らないのに適当に言ってるだけなんだから。
この本を読んでて本当に思いました。
「周りの目を気にしてできない」ってよくいうけど、周りの人は私の人生の責任は負ってくれない割には自分の知っていることを自分の価値観というメガネを通して、好き勝手に判断して、しまいにはこうした方がいいとかアドバイスしてきたりすることもあるじゃないですか。
それはその人にとっての正しいと思う価値観であり、自分の価値観とは全く別だから、別にアドバイスを聞くことはいいとして、受け入れる必要も、反応する必要も、落ち込む必要もないなって。
周りの目を気にして何かができないってことがどんだけ自分にとって損なことなのか、改めて思わされました。
自分のことを理解しようともしてくれない大多数の意見より、自分のことを本気で考えてくれる人のために自分の人生の時間や選択を使うべきなんですよね。
ただし頭では分かってるけど難しんですよね、これが。
周りに流されずに自分の軸を持って生きるってなかなかできないことですから。
私はこの物語を最後まで読んで、ずっと周りの状況(主に母)で自分の選択をしてきた暁海が、自分で人生の選択を指定できるように(=主体的に)成長していったんだなって感じとりました。
アラサーになったら、人生も色々あるよね
この物語の主人公たちと(最終的には)年齢が近いというのもあって、自分の人生を俯瞰してみているような、なんかそんな感覚になりました。
生きてたらいいこともあるし、悪いこともあるし、出会いもあるし、別れもある。
20代の時にはあんまり感じなかったけど、30代に突入してすごく実感しています、ひしひしと。
でも、一つだけ言えることは、今の自分は過去の自分の選択が作ったものだということ。
誰も私の人生の責任は負ってくれないから、周りの目を気にして何かができないってことを後悔しないように30代は駆け抜けたいなとそう思いました。
多分またすぐ読み返すと思う、めちゃくちゃ良い小説に出会いました。
アラサー女子、必読です。